気まぐれに更新。 日々の思い、出来事などを書いています。

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テンプレ変えてみました。

これから先のお話は、自分のルーツである祖父母についてのお話。
親類の話を総合するのに苦労しましたが、大体こんなストーリーだということで。

長文になりますので、飲み物のご用意を♪

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むかしむかし、祖父が20歳、祖母が18歳のとき
二人は親類縁者に”ちょうどいいから♪”とくっつけられ、
すでに数年前に旅立った兄二人を頼りに、北海道を目指して山形を旅立った。
その親(曾おじいちゃん達)息子に1円(当時では大金だったそうな。)と、馬を一頭をくれた。
長い旅路のはてに道東にたどり着き、そこを生活の拠点にした。

sorasora.jpg


そこからはいろいろ苦労して・・ということになるんだろうが、
親類に聞く祖父はそこに話題が行かない・・・。
祖父にはあるがあったのだ。
それは”ほうっておけないんだよ。”と”なんも~いいべ~?”に要約される。
祖父という人は、
とにかく”困っている”と相談を受けると”ほうっておけないんだよ。”という人だった。
貸すような金銭などはないにしろ、
『うちにメシを食べに来ていいよ~。』と言ってしまうので、
家族に混じって、常に誰かしら食卓にならび一緒にご飯を食べていたという。新婚時代からこんな調子。

開拓に来たもの同志の交流から始まって、後輩の育成につながっちゃったんだろうな。

私の母は兄弟の末のほうだったので、小さい頃は誰が血縁のある人で誰がそうでないのか、混乱していたというくらい。
母も小学生の時には すでに”叔母”だったという、ごった煮な3世代にこの家族は成長していったわけで。

そうなると、自分の子も多いし、祖母が大変。
でも、明治女の強さというか、夫への愛なのかもしれないが、
夫を批判するわけでもなく坦々とその生活をこなしていた。
忙しくて、不満を言う暇も無かったというのが事実だと思うが。
農家なので、大鍋料理・大皿料理などのおかずがおおいから
大丈夫だったのかな~。
多分、最大20人分くらいの食事を三度三度作っていたと思う。

その甲斐あってか、いろんなお手伝いしてくれる人も多かったみたい。
牛を飼うのに必要なサイロの建設も柵の修繕もあっという間に終わったり。
技術・知恵の情報交流もあり、協力関係は良い集団だったようだ。

それでも生活はカツカツな時代。
その娘達が(私にとっての叔母さん・母の姉達)が
『父さん、こんなんでいいの~?』などと、眉間にしわを寄せれば、
祖父は酒の入った赤ら顔で、”なんも~いいべ~?”とニタニタ笑うだけだった。

こんな風に、近所の(メシねらいで近寄ったかもしれない)若者の支持を受けて
常時人気者だった祖父は、自分の子供達と近所の(メシ目的?の)若者達と
”ちょうどいい娘”達とのブライダルコーディネートがひとおおり済んだ頃、50代で妻を残して先立った。
癌で死んだとも言うが、医学的なことにはとんちんかんだったこと、
酒好きがいいほうに働き、苦しませず見送れたと思っている子供達が多い。

ひとり残された妻・・となりそうだが、祖母の場合は違っていた。
祖父が残したお金では買えない遺産が、残りの生涯をあたたかく包み込んだ。

そう、子供達と、祖父が迎え入れ・祖母がご飯を食べさせてきた若者たちが
この後も、『母さん』『おばちゃ~ん♪』と、訪れる人が多いこと多いこと。
(うちの母は、祖母を『おばちゃん』と呼んでいたから、幼児期の混乱から抜けてなかったのネ。)
ちゃーんと自立した彼らはもう手ぶらではない。
自分の畑で取れただの、旅行に行っただの、こんどはおいしいものをたくさんかかえて☆(笑。
彼らにとっても、故郷が遠かったりすれば親の代理のように慕ってくれていたのだろうと思う。(餌付け効果?)
そういわけで、彼女も人生の終わりまで孤独とは無縁の生涯だった。
夫より、30年くらい長く生きた。

彼らにだって、悲劇・不幸というのはあったという。
実際に幼くして亡くした子供もいるし、裏切りにも会い大変だったという。
そういうことはグダグダ口にしないと点で、この夫婦は一致団結していたのかな。
・・っていうか、ずっと忙しかったんだよね~。

お盆になると、その仏前に行くが、
竜宮城か?と思うくらい、8畳の仏間がいっぱいのお供え物に囲まれて
祖父母の遺影がにこやかに笑っている。

そのとなりのリビングでは、何人いるんですか?というくらいの人が出入りして、
みんながゲラゲラ祖父母の思い出、自分達の近況などなど、
ごちゃまぜな話をしていたなー。
(もう誰が親族(血縁)かどうか、私にはワカラーン。すでにほとんどの人が高齢者ですがね。)
祖父母について語るとき、みんなが噴出さずにはいられないらしい
それでも、人として大切な何かが見えてきそうな・・・。

親族内格言:
『ひとりで刺身を食べるより、みんなでイモ食べたほうが旨い。』

北海道の片隅の村で、牛に囲まれて ひっそり生涯を送った
ある開拓民一世代めの夫婦のお話でした。^^
2007.08.27 / Top↑
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