気まぐれに更新。 日々の思い、出来事などを書いています。

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ネットで楽しくお付き合いくださっているシエラさんは、
とっても個性派で、おもしろい奥様と思って交流していました。
その人があれよあれよという間に絵画を描かれる方だと知り、
さらにドンドン偶然(なのか、思いが引き寄せたのか))が重なり、
2月9~11日に個展を開催され成功されています。

彼女の作品の一部をご覧ください。→   シエラ作品:1   シエラ作品:2


その話を聞いてたら(正しくは『読んでたら』)自分も何か作品をいただきたくなって、
ずうずうしくも、『私にも、何か描いて下さい。』とお願いしました。
そうしたら、お願いするが早いか『絵が降りてきました』とお返事があり待つこと数日。
昨日、ハワイっぽいのグリーンの葉模様の包装紙に包まれてやってきた作品がこちらデス。





以下文章が長くなりますが 時間が許しましたら読み進めてください。

~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~


絵を見たら、何を描いているのかはっきりわかりました。
想っていない振りをして、いつも想っている。 忘れたつもりで忘れていない・・あの人との思い出。

私は、父親に捨てられた。・・そう思って 人生の半分を生きてきました。
最後に会ったのは息子が生まれて見せに行った時。ちょうど10年前。
あれからだから・・・彼も老いて来ているのだろうか・・?

幼い頃、釧路の海岸付近の町に住んでいた事がありました。
今は釧路西港となっていますが、その前はひなびた海岸でした。
ハマナスが咲いていて、波が冷たくて、そんな今はない海岸に父に手を引かれて連れて行ってもらった・・
そんな記憶が絵を見ていて、私の心に戻ってきました。
そうですね、私が7歳くらいの時の記憶なのかな。

しかしその頃から 私の生家には不穏な空気が始まったのも事実。
父にモーションかけてくる女性が現れて。。。
そして 10年の時を経て 父は家を出て行きました。
今までさんざん 姑・小姑からの虐めに近い仕打ちを耐えた母や、私や妹を置いて。

『私達、棄てられたんだろうか?』 妹と答えの出ない話しあいを何度したことか。

こういう微妙な時期のご近所さん達って言うのも罪作りですよ。
母の元には、あなたの元の夫はこんな悪い人だ・・といわんばかりに
繁華街を他の女性と歩いているのをよく見かけた。。とか、
検察側の証人がウジャウジャでてきました。
最初は別居していた状況だったのに、(ここはまだ改善の余地を残したんだろうね、父も母も)
ノイローゼに近い心境の母に よくない呪文・・・徹底的に母は疲れていまい、
最後のピリオドを父に要求しました。

そのときの父の最後の言葉は、
『そんなのわかっている。オレの建てた家なのに 居場所が無い。帰る場所がない。』
だったそうです。

物心ついてから両親がこんなですからね、
進学して家を出る私の気持ちもわかっていただけますか。

~☆~☆~☆~☆~ ちょっとブレイク    ~☆~☆~☆~☆~

でも離れているからこそ、見えてくるものもあるんですよね。
看護学校は 心理学や社会学も習いますから、人を客観視する訓練も出来ます。

父にしても、父は祖父が他界が早かった長男であり、きょうだいにアテにされる面も多く、
何かと若いときから自由度の少ない人だったと思います。
また母と姑の確執のある家に帰りにくくて、気が休まる時間が欲しくて
ちょっと一杯・・ってことだったんじゃないかな。

子育てで身動き取れない母はそんな父にも不満が募るし、
悪い相乗効果が起こったんじゃないかな。
(私におちんちんが付いてなかったことでも、おばあちゃんにしつこく小言言われてたな。)

その後、愛人の家に帰宅するようになってしまい、家には戻らなくなりました。
だから別居に移行する時も自然に。
姑・小姑からは、その責任でさえも母にあるのだと攻められていた母。
不倫相手からの無言電話攻撃。
そんな家庭での生活ですから、ごめんなさいですが、
私達姉妹の心の中では 大悪人としての父親像が出来てしまいました。

父はまだ気持ちがフラフラしているどこかの段階で、
母の心の中にも、私達子供の心にも、『自分の帰る場所が無い。』と思ってしまったのですね。

~☆~☆~☆~☆~ ちょっとブレイク (またかい)  ~☆~☆~☆~☆~

父の後姿からの教訓って言うのはかなり私の中では生きていて、
『父のような思いをする子供を、繰り返し登場させてはいけない。』という事。

父は いろんな人からの『役割期待』に押しつぶされそうだったのでしょうね。
男だから、長男だから・・と育てられました。 A LITTLE BOY だったのに。
泣けば 『男のくせに!』と厳しかった祖母。・・そんな子供時代。
きょうだいのために早くに就職し、下の方のきょうだいの進学や結婚の準備も父の役目でした。
石川啄木の『働けど働けど・・』をよく熱唱してましたっけ。

いろんな思い出から、父自身も『自分を愛せていない。』人のようだとも思います。

ある日、『俺の人生にも、自由を!愛を探しに~!』と、(多分バット・タイミングで)行動してみた父。

戻ろうとしたら、玄関の戸は閉まってました、みたいな。

寂しいといえばいいのに、強がりで天邪鬼。

そんな性質をより多く受け継いだみたいな私も、わかってあげればいいのに、
まだ父を思い出しては プンプンしてました。(笑
よりによって 祖母の他界した直後、あんな女性(以前からの不倫相手)と再婚までしやがって!

(不倫する予定の人は注意してくださいね、結構実子に見かけられてたりするんですよ。
私も見かけちゃったことがあるんだけど、えー。。だったよ。
母より美人ならあきらめも付くけど、『そいつかよ?』って本気で思ったもん。
ステーキ棄ててコロッケ?見たいな感じ。(ヘンな比喩ですが)しかも無言電話するような陰湿さがあることは父は承知してるのかな。


~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~

こんな感じの父の娘でもね、時々父と話をしたくなるときがあるんです。
ほとんどは絶対会いたくないと思ってるのに。

ロウティーンで反抗期抜けた自分の娘が夫と結構じゃれるのね、
そういうの見ていると心底うらやましい。
(自分が 出来なかったからなんだろうね。)

そして、父の後姿からの学びを生かせてるかなって、最近思います。

私の母もね、恨んでいたと思っていた父の母(祖母ね)のことを
最近思い出深げに話すようになりました。
『自分の母親より長く暮らした。知らず知らず教わったものも多い。
物知りで器用な人だった・・あんたにも 受け継いで行かなきゃって最近思う。』・・・なそうな。

母のその言葉を聞いて、
私ももしかしたら今年辺りに父に対して創った心の鉄のカーテンを
開けるべきときが近づいているのかなと感じていたのだが・・・。
母が落ち込んでいる間は 父の話題を出しちゃいけないかなって
思って生きていた所もありましたからね。

シエラさんが描いてくれた絵の中のテーブルに椅子が一個ありますよね?
そして、パンが置いてありますよね?

きれいなお月様の光が楽しかった思い出を浮かび上がらせてくれて、
『幸せな思いでも お父さんにもらってるじゃないの。
今の幸せなあなたのHOMEを お父さんに見せて上げなさいよ。』

って言っているような気がして。
(ちなみにシエラさんは このブログでお会いしている皆さんと同じくらいにしか私を知らないはず。)

だよねー、年代的にいつ具合が悪くなったっておかしくないですしね。
偶然かもしれないけど、ブログ友のなかにも
『親子の和解』みたいなテーマを持っている人結構いて、
なんだかそういう時期の人集合?って気もしてました。


絶対もう1回だけでも会いたいの。

そして、言いたいの。

あなたの人生の最高の作品は 私達なはずだよ。って。 (可愛いく♪
2008.02.29 / Top↑
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